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ひと☆輝き☆通信 10月号



“震災婚”で成婚率が上昇



 東日本大震災以後、家族のあり方や生き方、他人に対する思いやりを含め日本人の意識を大きく変えたといわれます。目の前で家族が亡くなり、今だに行方が分からない人もいるのですから…。

 先日、結婚相談所の方と話をする機会があり、今回の震災と津波、原発のことについて聞きました。すると「実は“震災婚”が増えてきています。お見合いパーティーをすると、関東ではとくに成婚率が上がってきました…」。

 「震災婚?」

 「東日本大震災で友人や恋人、妻や夫が亡くなったことは、家族が助け合うということ、頼れる人がいることのありがたさが身にしみて分かったということだと思います。多くの人は、1人では不安なのです。やはり、安心して生活がしたい。そういう意識がはっきり芽生えました。私たちは、それを“震災婚”と呼んでいます」
その方は、続いてこう言われる。「婚礼が増えると、呉服の需要も増えるのではないでしょうか。ぜひ、呉服業界の方々もこれを機に頑張っていただければと思います。私たちも一緒になって婚礼が増えるよう努力していきます」。   
  
 関東のきもの専門店経営者は「震災後、婚礼が増える傾向にあります。私たちもそういう方々を応援しております」と話しておられるので、呉服業界も婚礼需要を喚起する対策を打つときだといえます。

 かつて、業界は婚礼需要が呉服の購買につながる黄金期を経験しています。昭和30年以降の高度成長時代だったように思いますが、その後はライフスタイルの変化とともに婚礼需要そのものが減少。結婚=きものという図式が描けなくなったと言われます。いわゆる式服需要が減り、婚礼に頼らないマーケットの創造という根気の要る需要喚起策が重要課題になってきたといえます。

 きもの屋さんの中には“婚活”に熱心なところがあります。適齢期の男女を結婚させようとお世話されているのですが、成婚率はなかなか上がらないようです。少子化と初婚年齢の上昇、男性に頼らない女性が増えてきている中、きもの屋さんも苦労されています。
      
 「3・11」以後の“震災婚”は、結婚のあり方を大きく変えようとしています。つまり、結婚によって今まで1人で生活を謳歌していた人が「自由を束縛される」といった感覚でとらえていたところがあります。しかし、大震災によって1人では不安だと思い始めたのです。

 それは、劇的な変化です。結婚というのは良きパートナーと仲良く人生を歩み、お互い支え合うもの。業界に携わる人たちは、家族や親族が共に喜び合える新たな結婚観を打ち出すときにあるのではないでしょうか。



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“きもの供養”スタート

白衣観音1


 古くて着なくなったきものや箪笥の中に眠ったままのきものを供養し、新たな命を吹き込もうという“きもの供養”事業がスタートする。長野県下伊那郡阿智村・信濃比叡園原(そのはら)の里「広拯院(こうじょういん)」にきもの供養の「白衣幸服観音」が建立され、このほど同観音の開眼供養と東日本大震災で被害に遭ったきものの供養が営まれた(信濃比叡推進協議会・日本きもの供養再生協会主催)。

 “きもの供養”を推進する日本きもの供養再生協会は、京都の帯地メーカーらが3月11日の東日本大震災と津波によって被害を受けたきものや帯を供養する「白衣幸服観音」建立の準備を進めてきたが、9月中旬、「白衣幸服観音」開眼供養ときもの供養を行った。「肉親や自分の人生とともに歩いてきたきものには人間と同じ『生命』が流れています。きものを着たときの思い出、人生の通過儀礼、喜怒哀楽など。肉親や自分の体を包み込んでいたきものや帯。使い捨ての時代から『感謝を込めて供養する』心の時代に戻したい」としている。


 「白衣幸服観音」開眼供養


 開眼供養ときもの供養は、信濃比叡「そのはら山の月見祭りと風笛の盆」行事に合わせて実施。広拯院本堂で供養を行った後、阿智村中央公民館に会場を移し、栢木寛照住職の法話と源氏物語と平家物語の世界と題し、源氏物語では雅和装学院(京都)大久保次江学院長が十二単ショーを解説、平家物語では茂山狂言社中・樋口治氏が“狂言那須の与一”と一弦琴と朗読(坂上順子さん・松本栄子さん)が行われた。

 また、「風笛の盆」では、満月のもと千体地蔵の灯明、東日本大震災犠牲者慰霊の読経、琵琶の演奏が境内に響いた。


鶴屋百貨店呉服部 平川秀夫部長

鶴屋百貨店平川さん1



 熊本産純国産絹をアピール


 日本の蚕糸業は明治以降、日本の近代化を支える基盤産業だったが、和装産業は戦後のきものブームを経て1971年(昭和46)から75年(同50)前後に生産量がピークを迎える。それ以降は生活様式の変化とともに生産量、需要とも減少。その間、外国から安い生糸や製品が入り、国内の生糸・絹製品関連業者は年々規模が縮小してきている。

 統計によると、養蚕農家数は現在900戸(09年)、器械製糸工場は2社(碓氷製糸、松岡)だけになった。また、国内で消費される絹製品全体のうち国産繭が原料となっている比率は0・7%となり、国産繭は1割に満たないのが実情に危機感を持った蚕糸業関係者、企業らは付加価値の高い絹製品をつくることによって純国産繭・絹製品の発展を目指している。

 来年60周年

 そんな中、鶴屋百貨店(熊本市)呉服部は、純国産絹にこだわったものづくりを進めている。平川秀夫部長によると、熊本の養蚕農家は現在6軒、前年度の繭の生産は620kgだった。熊本はかつて養蚕が盛んで、農家も多かった。地元百貨店として「熊本の絹産業を残していきたい」という思いから今年2月には純国産絹製品展を開催。来年は同百貨店が60周年を迎えることから、2月中旬に純国産絹展と群馬織物宣伝会の催しを計画している。

 現在、メーカーの協力を得て製作しているのは胴裏と白生地、長じゅばんの3タイプ。「かつて熊本の養蚕農家は多かったのと群馬との技術交流も盛んだったようです。今後はそういったことも含めて熊本と群馬とのつながりを発展させていきたい。鶴屋百貨店のお客さまに日本でつくられる絹を知っていただくと同時に熊本産の絹をブランドとしてアピールしたい」。


プロフィール

幸せプロダクション

Author:幸せプロダクション
■プロフィル

大阪市生まれ。法政大学文学部卒業。日本繊維新聞京都支社編集部記者として呉服、ブライダル、テキスタイル、アパレル、ジュエリーなどを担当。現在、PR現代の雑誌「ネクスト」副編集長。


■実績

〈新聞〉

・連載「私の歩んだ道」
その1.小川甚次郎(小川会長)26回(1990年)
その2.市田ひろみ(服飾研究家)22回(1991年)
その3.佐藤比早子(美装きもの学院総学院長)28回(2000年)

・連載「わらべの旅」(加賀友禅作家・由水十久の生涯)66回(1992年)
・連載「伊勢型紙を生きる」(伊勢型紙の歴史と現在の状況について)33回(1997年)

〈論文〉

「“町づくり”からきもの振興を」(懸賞論文第1席)1995年2月
(全国和装産地市町村協議会主催「きもの振興に関する提言論文」

〈著書〉

『手技の魂にふれて 伊勢型紙を生きる』(1998年11月15日、日本繊維新聞社発行)
『極める』(2005年5月13日、教育研究所発行)
『幸せコーディネーター』(2008年4月15日、幸せプロダクション発行)

〈講演会企画〉
・「シルクロードに魅せられて」(2004年12月、講演者=染織研究家・名和野要)
・「万葉の花――こころ花の如く」(2005年12月、万葉の花研究家・片岡寧豊)
・「幸せコーディネーター」(2006年12月、幸せコーディネーター・山本克恵)
・「カラーに魅せられて」(2007年7月、カラーワールド社長・門園富美子)
・「元気が出るおしゃれ」(2008年12月、トータルファッションプロデューサー・横田仁美)
・「おもてなしの心」(2009年9月、神戸クルーザーコンチェルト社長・南部真知子)

〈パーティーなど企画〉
・おしゃれパーティー春の宴(2006年4月から毎年1回)
・おしゃれバザール(2007年12月~2009年12月、計3回実施)

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